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劇場
父と暮らせば

サザンシアター  

こまつ座   

井上ひさし   

鵜山仁  

辻萬長、栗田桃子   

6月22日まで   

03-3862-5941   

左 栗田桃子 右辻萬長  

撮影:谷古宇正彦

6月24日 鎌倉芸術館、27日 川西町(山形県)フレンドリープラザ、28日 山形市民会館、   
7月3日 桐蔭学園鵜川メモリアルホール、13日 逗子文化プラザ、

原爆投下の悲劇を訴えた作品は多数あるが、投下後3年経った広島を舞台に、バラック同然の家に、原爆の犠牲者にならずかろうじて生き残って、一人暮らしをする娘と時々この家を訪ね、愛娘を励ます父親との真心がこもった交流二人芝居だ。

初演は戦後49年目の1994年に幕を開け、外国公演でも絶賛された作品で、3年ぶりの公演。二人の会話はすべて“広島弁”で語られている。

              

戦争が終わって3年過ぎた7月。福吉美津江(栗田桃子)の家は、山が楯になって原爆の被害を食い止めたが、まわりの家はまだ立ち直っていない。

美津江は終戦当時女子専門学校の学生だったが、原爆の落ちた日は学徒動員で、市内の工場へ行かなかった日で助かった。

母が早く亡くなり、父と二人暮らしだった。だが父は爆風で材木に下敷きになり、その後の火災で亡くなったはずだが、、、。いまはバラック建ての家に一人住まいをしていて市の図書館に勤めている。

7月の暑い日。このボロ家にドンドロさん(雷のこと)が鳴り響き、雷が大嫌いな美津江が駈け込んで来た。押し入れには父の竹蔵(辻萬長)が先に入っていて「早く押し入れに隠れろ−」と手招きをした。

暫くしてドンドロさんが遠ざかり、ほっとした美津江は、父にまんじゅうを食べさせようとしたが、父は「いらない」と言って手を付けない。

このまんじゅうは図書館に足繁く原爆の資料を求めにやって来る26歳のキノシタという大学の先生で、美津江が貸し出しが出来ない資料を融通してやったのがきっかけで親しくなり、そのお礼に彼からプレゼントされたものだ。

竹造はこの家に住まず、このところ頻繁にやって来て美津江に、いろいろ励ましたりアドバイスをする。美津江が生き残ったのは、偶然に昭和20年の8月6日に学徒動員先の工場へ行かなかったので、この難を免れたが、他の親しい同級生のほとんどがやられてしまった。

この痛ましい思い出を引きずってこれまでひっそり暮らしてきたが、先生と出会ってから俄然、することなす事生き生きとしてきた。

今日はその彼が家に遊びに来て食事を供にするという。戦後の食料難の時代に、美津江は食材を探してきて、竹造は広島名物の食事の手助けをしだした。それに貴重品のビールを一本を添えて、、、。

キノシタは岩手が実家で、美津江を両親に引き合わせるために一緒に岩手まで行のだと彼女から聞いた時の竹造のそのうれしさといったらどう説明しよう。

やがてその時が来た。だが、いつの間にか影日向になり、献身的に美津江をバックアップした竹造の姿は、、、。

美津江、竹造のほのぼのとした交流の中から「ノー・モア広島」が浮かび上がってくる。終演後観客の多くがハンカチで、目頭を押さえていたのが印象的だった。

原爆投下で止まったままの時計が、、、