

サザンシアター
東京ギンガ堂
品川能正
溝口舜亮、大谷朗、要田禎子、米倉紀之子、西原信行、
江口信、串間保、黒田瑚蘭、吉田倫貴、森下庸之、花嶋愛美
11月5日まで
03-3352-6361


野口英世、北里柴三郎らは良く知られた名前だが、高峰譲吉という人は、なぜか馴染みが少ない。彼は明治時代に胃腸薬のタカヂアスターゼ、止血剤のアドレナリンを発見、発明、人類に多大な貢献、さらに人造肥料の製造、黒部川の電力開発、ワシントン、ニューヨークに桜並木を作るなど日・米友好にも寄与したスケールの大きな人物だった。
この作品は、明治のサムライ高峰譲吉の半生にスポットを当て、音楽と共に彼と周りの人たちを生き生きと痛快に描いている。
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高峰譲吉(串間保)は加賀藩御殿医の息子として1854(安政元年)に生まれ、わずか11歳で欧米の窓口だった長崎に留学したというからただものではない。
そこで出会ったのが、あの幕末を動かした坂本龍馬(大谷朗)、写真界の草分け上野彦馬(江口信)、後に薬学界の祖と言われた長井長義(吉田倫貴)ら、若者が長崎に集まっていた。
ある日譲吉が彦馬の写真館にいると龍馬がやって来て、写真を撮ってもらおうとしている時、イギリスの水兵が鉄砲を構えて同僚の仇討に来たが、そのときピストルを握って飛込んで来たのが龍馬の女房になったお龍(黒田瑚蘭)。あわや!
龍馬が帰りがけ譲吉に地球儀を贈り「世界に目を開け、、、」と激励。いよいよ譲吉は外国を意識するようになった。
時代は明治となった明治10年。工部大学(現・東大)の工学部5年生になった譲吉は、気球の製造中だ。コンニャクを溶かした液を紙に塗りつけやっとこさで完成。現れた校長・大鳥圭介(函館で榎本武揚と官軍と戦った)を無理矢理乗せて空を飛んだ。大鳥は譲吉に「科学をやれ、、」と奨められる。
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時は移り、明治17年。英国へ留学。3年間応用科学を学び帰国後、彼は農商務省に入りニューオリンズの万博へ日本館担当として渡米していた。
そこで当時としては珍しいキャロライン(米倉紀之子)と国際結婚。帰国後、万博会場で目に止めたリン鉱石から人造肥料を作ることを考えたが資金がない。そこで財界の大物・渋沢栄一(溝口舜亮)に頼み込み企業化に成功する。
運が開け、彼が研究した日本麹菌がアメリカのウイスキー会社に注目され、この麹菌を使ってウイスキーの製造期間を早める技術で工場を建てたが、地元業者の反対から工場は焼き討ちに遭い全焼してしまった。
失意に覆い重なるように肝臓をやられ、すぐ手術をしないと命がない。シカゴの大病院へ移送しようとしたが、その手段は列車だけ。ついにキャロラインは、火を焚いて列車を止め譲吉を搬送、一命をとりとめた。アップダウンも激しい。
彼は醸造発酵技術を研究している過程で、強力な消化酵素を発見「タカヂアスターゼ」の名前で製造、販売をし、さらに牛
の副腎から止血剤「アドレナリン」の結晶化に成功。医学界に多大な功績を残した。
譲吉は著名な学者だけではなく、発見、発明はもとより製品化した薬品の製造販売、さらに特許の取得と起業家としてもずば抜けた才能を持ち、薬の販売権を日本だけは外国に持たせなかった愛国者でもある。
これも若い日に坂本龍馬や大鳥圭介、渋沢栄一らの期待に応えたのだろう。また、日露戦争の時アメリカの世論を日本の味方に付けたり、日本人クラブの創設。ワシントン、ニューヨークの桜の植樹など、アメリカ人が“サムライ高峰譲吉”と賛美した人柄だった。
ドラマはスピーディーに進み、譲吉の串間がフル回転で、明治、大正を駆け抜けた高峰譲吉役をたっぷり見せる。譲吉の妻・キャロラインの米倉紀之子が、走ってくる列車を止めようと必死で松明を振るシーンに、思わず客席から身を乗り出すほどだ。
また、坂本龍馬の大きさを演じる大谷朗、渋沢栄一、大鳥圭介(二役)の溝口舜亮の大らかさが見事で、まさに痛快劇だ。
この作品の脚本、演出の品川能正さんは「なぜサムライ高峰譲吉を上演したか」と聞くと「前にヒューマン・ダイナモ人間発動機 野口英世」を上演するので、N・Yの英世の墓を訪れた時、高峰の立派な墓が彼の隣にあったに気づき、譲吉の生涯を東京ギンガ堂らしい演出で上演したかったのです」と言っていた。
11月22日 高岡市民会館、24日 宇部市渡辺翁記念会館、26日 シンフォニア岩国コンサートホール、28日 エルガーラ8階大ホール、2009年4月16日〜19日 ニューヨーク、ケイ、プレイハウス