◆ 【盟三五大切】
四世鶴屋南北の代表作で、歌舞伎座では三年ぶり、仁左衛門が初めて源五兵衛を演じる。曾根崎新地の五人切り、深川遊郭で起きた殺人事件、それに忠臣蔵の世界をない交ぜにした狂言で、どこかで観たシーンがあると思われた人も多かろう。
序幕は佃沖の船中から。笹野屋三五郎(菊五郎)が漕ぐ舟に乗っているのは芸者の小万(時蔵)。この二人は夫婦で子供までつくったが、三五郎の父の旧主が百両の金が必要なので、三五郎は小万を芸者に売り、その金を父に渡し勘当を解いてもらおうとした。
そこへ小万に惚れ込んだ浪人の薩摩源五兵衛(仁左衛門)の乗った舟が通りかかる。三五郎と小万との仲は、源五兵衛は知らなかった、、、。ここから悲劇が始まろうとは。
深川大和町の源五兵衛の住まい。道具屋が来て家財道具をかたっぱしから持ち出した。若党の六七八右衛門(歌昇)は必死になって止めようとしたが家の中は空っぽになってしまった。
実は源五兵衛は、亡君塩谷判官の仇討ちのための策略だと八右衛門を納得させる。源五兵衛の伯父・富森助右衛門が、百両を用立てきたがその金を三五郎は仲間と謀って巻き上げてしまった。
これに気づいた源五兵衛は、三五郎のもとに向い殺そうとしたが、仲間を殺害したものの三五郎と小万は、間一髪すり抜けた。
二人は小万の兄・弥助(左團次)が家主をやっている四谷の長屋に逃げてきたが、その家へ三五郎の父・了心(田之助)が訪ねて来る。
三五郎は源五兵衛から巻き上げた金は了心の旧主に用立てるものだった。やがて八右衛門が源五兵衛の身替りになって捕られると、彼はようやく小万の事を諦めた。
と、三五郎、小万に油断をさせた源五兵衛は、、、。後に解るが実は彼は不破数右衛門で、因果関係が次々と繰り広げられる。
凄惨な場面が後から後から続く、南北おどろおどろしい世界に菊五郎、仁左衛門、時蔵が連れて行ってくれる。やはりベテランで芸達者な演者が揃わないとこう余韻のある狂言を満足させないだろう。
◆ 【廓文章】―吉田屋―
この狂言は籐十郎の家の芸で、かつて元禄の名優初代坂田籐十郎が演じ、上方のはんなりした和事をたっぷり楽しもう。
大坂新町にある吉田屋は店前には門松が飾られ、もう正月は間近。ここへ奥から阿波のお大尽が出て来て、自分が贔屓にしている傾城の夕霧(魁春)が来ないので帰るとむくれていると幇間や仲居が餅搗きをすれば夕霧がやってくるとお大尽をその気にさせた。
そんなところへ編み笠を目深く被り、和紙で作った紙子を着たみすぼらしい若い男がやって来て「喜左衛門(我當)に合わせろ!」という。
若い衆が追い払おうとしたとき喜左衛門が店先に出て来てこれを止め、編み笠の中を覗くとなんと大店・藤屋の若旦那伊左衛門(籐十郎)ではないか、、、。
伊左衛門は夕霧と深い仲になり借金を作って親から勘当され行方不明になっていたのだ。伊左衛門を座敷に通し、おちぶれた伊左衛門の姿をみた喜左衛門は、自分が来ていた羽織を着せてやるのだった。
喜左右衛門が立ち去ると入れ替わりに女房のおきさ(秀太郎)が現れ再会を喜ぶが、肝心の夕霧の話はしない。腹の立った伊左衛門に、夕霧はいまは病気も治って奥の座敷いると言う。
いくつもいくつも障子を開け覗くと夕霧が他の男の座敷に出ているではないか!不機嫌になった伊左衛門「帰るー」と言い出した。おきさになだめられ、いつ来るかいつ来るかやきもきしているうちに、伊左衛門は炬燵で横になってしまった。
待ちくたびれて炬燵でふて寝していた伊左衛門をのところへやってきた夕霧は起こそうとするが、起き上がった伊左衛門は夕霧を罵り、足蹴さえもするのだ。
つれない態度を見せる伊左衛門に今度は夕霧が、丸一年も音信がないので病気になり、死ぬ一歩手前までいってしまったと情のなさをなじった。
そこへ喜左衛門夫婦がやって来て伊左衛門の勘当が許され、藤屋から身請けの大金が、とどけられた。やれうれしや。
伊左衛門と夕霧は手を取り合って喜び、喜左衛門らは二人の新しい門出を祝った。
◆ 【菅原伝授手習鑑】―寺子屋―
この作品は、義太夫狂言三大名作と言われ、毎年のように上演される。重厚な物語でこれまで何人の人が泣かされてきのだろうか、これを演じる役者も技量が抜群でなければとても務まらない。それと出演者にもそれぞれ演じ方が違うので楽しみの一つだ。
菅丞相(菅原道真)の家臣・武部源蔵(梅玉)は奥方の園生の前(孝太郎)の腰元・戸浪(魁春)との不義密通(かつて御法度だった)をし主家を追われ、いまは京の北、芹生の里で寺子屋を開いていた。
菅丞相は、彼の筆の才能を認め、筆法の奥義を授けた。だが菅丞相は太宰府に流されたので、恩義を感じ菅丞相の一子・菅秀才(千之助)を匿い我が子として育てていた。
ところが藤原時平に身元が分かり源蔵に菅秀才の首を差し出せときつい沙汰があった。一方寺子屋では、涎くりの与太郎(松江)を始め、菅秀才たちが習字を習っていた。
帰宅した源蔵は、なんとか菅秀才を救う道はないかと思案していると女房の戸浪が今日寺入りした子がいると言うので会ってみてビックリ。田舎にはまれな美少年の小太郎(玉太郎)がいるではないか。
そこで源蔵はこの子を菅秀才の身替りに差しだそうと決心した。戸浪は寺子の命を奪うのを嘆くと源蔵は「せまじきものは宮仕え」と涙ながらに苦衷を語るのだった。
間もなく時平側の松王丸(仁左衛門)と春藤玄蕃(段四郎)が、菅秀才の首を受け取りに来た。寺子の親が来て我が子を引き取り、残りの子がいなくなったのをみさざめ、菅秀才の首を出せと源蔵に詰め寄る。
まったなしに追い込まれた源蔵は、身替りの小太郎の首を刎ね、これが菅秀才の首だと首実検役の松王丸だと渡そうとする。それを見た松王丸は間違いないと玄蕃に言い切った。
そこで松王丸は玄蕃に役目が済んだから病気を治すため暇をもらうといいその場を去っていった。身替り策の成功に喜んだ源蔵夫婦のところへ小太郎の母・千代(籐十郎)が迎えに来る。
露見してはまずいので源蔵はお千代を斬ろうとすると「小太郎が身替りの役に立ちましたか、、、」と尋ねた。驚く源蔵夫婦。そこへふたたび松王丸が現れた、、、。
実は小太郎は、松王丸・千代の子だったのだ。
松王丸は源蔵夫婦に大恩のある菅丞相に報いるために、我が子を身替りになるように謀ったのだと明かした。この言葉に源蔵は、小太郎の最期は立派だったと告げると松王丸は、我が子を褒めながら身体を震わせ慟哭すのだった。
やがて松王丸が救い出し、匿っていた園生の前をつれて来させ菅秀才に引き合わせた。幼くして命を落とした小太郎の菩提を弔う焼香の匂いが場内に流れた。、、、。
仁左衛門、梅玉、魁春、籐十郎、段四郎ががっぷり組んだ義太夫狂言は、必ず観客の心をうつに違いない。
◆ 【船弁慶】
かつて平家を壊滅に追い込んだ義経(富十郎)は、いまは兄頼朝に追われ西国へ落ちていこうとして大物浦で船出の時刻を待っていた。
ここへ一足先に静御前(菊五郎)を同道してきた弁慶(左團次)が義経一行出迎えたが、これ以上静御前を連れて行くのは無理だから都へ帰すように進言する。
義経はやむなく静御前に都へ帰り時節を待つように言うが、なかなか言うことを聞かない。だが静御前を納得させ盃を交わして名残をを惜しみ、静御前は義経の所望で前に堀川御所で舞った都名所の舞い義経一行の心を慰めた。
義経らは乗船しようとすると天候が悪化、船出を躊躇するが弁慶は平家討伐の時も海は荒れていた。驚くことはないと舟長三保太夫(芝翫)、舟子(東蔵、歌六、團蔵)に出船を命じ沖へ乗りだした。
ところが船出の時はたいしたことはなかったが、にわかに海は大荒れになり、三保太夫らが必死になって操船するが船
はなかなか進まない。
そことき弁慶が海上を見渡すと西の海で滅んだ平家一門の亡霊が浮かび、さらに怒り狂った平知盛の亡霊(菊五郎)が義経主従に襲いかかった。
弁慶は数珠をこすり一心不乱に亡霊消滅を祈ると法力なのか、さしもの亡霊も力を失い波間に消えていき、後は白い浪が海上に残るだけだった。
菊五郎の静御前、知盛、二役、静と動の演技が魅了するだろう。
◆ 【八重桐廓噺】―嫗山姥―
三世時蔵の当たり役だった狂言を孫の現時蔵が五十回忌追善で演じる。商業演劇や新劇では考えられない。これが伝統芸能の歌舞伎で、奥の深さと良い作品の継承は、次世代へも続けてもらいたい。
岩倉大納権言の館から八重桐(時蔵)は自分の夫・だった坂田蔵人(梅玉)がつくった歌が聞こえるので、誰が歌うのか確かめようと腰元のお歌(歌昇)の手引きで館に入った。
大納言館の息女・沢瀉(おもだか)姫(梅枝)の前にいたのが煙草屋で彼は元夫の坂田蔵人だったのにビックリ。姫の所望で二人の関係をしゃべったが、それは かつて八重桐が廓にいたとき蔵人と相思相愛になり、ほかの女と蔵人の取り合いになったというものだった。
やがて蔵人は八重桐と離別したが、それは親の仇討ちをするためだと明かした。すると八重桐は仇は蔵人の妹・腰元・白菊(孝太郎)が討ったと明かした。
そこへ白菊も姿を現わし、自分が仇を討てなかった事に恥じ申し訳に切腹をする。苦しい息の中、死んで三日の内に八重桐の胎内に苦しみがあったら自分の魂が宿った証拠、生まれてくる子はきっと頼光を讒言した正盛や高藤を討ってくれると言い、蔵人は自身の臓腑を八重桐を食べさせ息絶えた。
やがて蔵人の一念が宿った八重桐は力持ちになって姫を力づくで拉致しようとする太田十郎らをあっという間に蹴散らしてしまった、、、。
時蔵の力演が、泉下の三世時蔵に応えているようだった。