1月     


06年1月31日(火)曇りときどき涙雨
  お袋さま告別式当日。午前11時が近くなるころ雨が降り始めた。告別式は11時半から12時半までだったが、式の最中は本降りにはならず事無きを得た。昨日の通夜に続いて同じお寺さんで告別式である。私メが喪主となり、弟がよく補佐をしてくれた。12年前のおやじさまの葬儀の折にはお袋さまが喪主で、私メと弟が補佐した。12年前も今回も遺族親族を代表しての挨拶は私メが務めたのだが、大勢の前で話をするというのは緊張するものである。マア、12年前よりはうまくできたかナということでヨシとしよう。出棺の儀を済ませ、その後火葬場に向かった。何度も来た火葬場だが、棺が火葬ブースに納められるときにはこみ上げてくるものが否めない。小一時間のあと拾骨。『あ〜アッ、お袋さま、こんなになっちゃったネ・・・』。火葬後に菩提寺に移動して納骨と初七日の儀式。通夜告別式を行ったお寺さんは真言宗だが、我が家の菩提寺は浄土宗なのである。初七日が終るとようやく精進落としのための料理屋さんに向かった。何度も経験してきたパターンなのだが、ハードな一日である。夜7時過ぎ、全てを終えて帰宅。昨年10月31日から始まった3ヶ月に渡るお袋さまとの物語にピリオドを打った。疲れているのかいないのか、病院での付添、お袋さまの棺を護っての添い寝と続き、ようやく今日を迎えたわけである。多分疲れているのだろうが、神経は高ぶったままだ。会社で一番重要な時期に休まざるをえなかったこと、間に合わない山草会の締め作業のこと、気が抜けない。『なるようにしかならない。』と開き直れるといいのだが・・・

06年1月30日(月)晴れ
  お袋さまの通夜当日。会場は近隣のお寺さんの斎場を紹介してもらっていた。川崎七福神のうち恵比寿さまを祀るお寺さんということで、華やかななかにも重厚感のあるお寺さんである。式は菩提寺の住職さんのご都合で夜7時からと、一般的な通夜よりも1時間ほど遅いスタートとなっていた。午後3時に自宅に安置されたお袋さまの棺を搬送するとのことで、それまでは何も無し。昨日の懸案につきクレジット会社に問い合わせて調査と同時にクレジット機能の停止を依頼した。街の銀行まで出かけて残高を全て振り替えて自動引き落としを防止。一段落して、お袋さまの棺に付き添っていると携帯電話が鳴った。Jさんである。ナント!!、家の前までいらしているとのこと。外に出てみるとJさんが盛り花を持って弔問に来てくれていた。感謝!!。聞いてみるとJさんも2週間ほど前にお父上を看取られたとのこと。情報をつかめなかったことに申し訳ない思いがつのる。Jさん曰く「申し訳なかったのですが、新潟から(雪割草の)出張販売にきていたHさんに(りーちさんのお袋さまの)通夜のことを知らせてしまいましたヨ。」とのこと。通夜の会場にはるばるHさんから雪の香りのする弔電が届いた。感謝!!。そいういえば、12年前無くなったおやじさまの戒名に「雪」の字があり、命名ホヤホヤのお袋さまの戒名もナント!!「雪」の字が含まれたのである。旅立つ時期が同じころであるせいもあるのだろうが、菩提寺の住職さまのセンスに感謝!!過ぐる21日のお袋さまの束の間の帰宅の際にお袋さまが窓から眺めていた雪景色がにじむ・・『「雪」の季節ダナ・・・』今年の雪割草はきれいに咲いてくれるだろうか・・・

06年1月29日(日)晴れ

  気持ちは張り詰めているとはいえ、通夜告別式前の束の間の休日である。今日は午後に葬儀屋さんとの打ち合わせがあるだけで、他に何もない。溜まっていた封書を整理していると心当たりのない請求書が届いていた。クレジット会社からのもので買った覚えの無いものの請求が届いている。急いで請求元やクレジット会社に問い合わせてみたものの日曜日で連絡のつかない先もあり、明日の平日、通夜の前に差し止め等の手配をしないといけない。張り詰めた気持ちに新たな不興和音。どこからか個人のカード情報が漏れているか・・・

06年1月28日(土)晴れ
  納棺当日。受身になっていて気が回らない。納棺に集まっていただく方々の接待が後手に回った。納棺前の短時間に弟夫婦の手を借りて接待準備。なんとか間に合った。父親の納棺も十数年前に経験しているが、女性の納棺というのはゼンゼン違う。葬儀のグレードもあるのだろうが、装束にしても化粧にしても、また淡い桃色の棺にしても華やかなものである。よい葬儀になりそうだ。

06年1月27日(金)晴れ
  夜中1時22分。おばさん永眠。75年の生涯を静かに閉じた。日中、葬儀の業者と打ち合わせの合い間に雪割草の棚に水遣り。おばさんの看護に追われてしばらく水も遣れなかった。だいぶ乾いた鉢が見受けられる。今年の花はキレイに咲くだろうか。続けてきた「おばさん」の呼称を本日から「お袋さま」に変更。

06年1月26日(木)晴れ
  泊り込み初日は何も起きず。朝5時前に病院を出て家に帰り、ノエルとチコの散歩。通常通り出勤。夕方5時近く、セガレから携帯に電話「おばさんの血圧が40まで下がった。目が開き始めてる。」取るものも取りあえず会社を飛び出した。地元の駅で家内と合流。急いで病院へ向かい、病室に飛び込んだ。何とか間に合った。おばさんは酸素の補給を受けながらシャクリ上げるように呼吸をしている。呼びかけにはほとんど反応しない。今晩の泊り込みは弟夫婦の番だったが、我が家も病院に留まった。

06年1月25日(水)晴れ
  出勤途中に携帯電話が鳴った。家のセガレからであった。「(おばさんの)主治医の先生が話があるって・・」。会社から病院に電話をして時間を調整。仕事の都合もつけて午後4時に病院に出向いた。主治医の先生曰く「思った以上に進行が早いです。今週いっぱい。あるいは今日明日でも急変があっておかしくない状態です。」。弟夫婦を呼び寄せて、交代で24時間付き添うこととした。まず初日の夜は私メとセガレが泊り込んだ。

06年1月24日(火)晴れ
  恐ろしく寒い。昨日は日中眠くてしょうがなく、アポイントまでの待ち時間についツイうたた寝などしていたのだが、少し冷えたようだ。今日は朝から頭痛がしていたのだが、夕方になってさらにひどくなり、脂汗をかいて吐き気までもよおすようになってしまった。ロビーのソファーで休み休みの仕事となった。会社に備え付けの鎮痛剤でなんとか持ち直して帰宅。帰宅後、おばさんの病院へ。こちらも鎮痛剤が効いているのか呼吸は荒いものの痛みは引いているようである。ただし、呼びかけには応答が弱く、鎮痛剤のせいもあって朦朧としているのかもしれない。

06年1月23日(月)晴れ
  午前3時、おばさんの容態急変。簡易携帯電話の呼び出しでおばんさん宅に駆けつけると、おばさんが苦しがっている。救急車を呼び、20日に退院してきた病院に再び搬送。おばさんを病院に託して朝5時には一旦帰宅することとなった。帰宅後、7時くらいまで仮眠。ノエルを散歩に連れ出し、帰って来ると朝食の準備。会社に電話を入れて休暇の申請。上司は快く承諾してくれた。感謝。朝食を摂り午前10時過ぎには再び病院へ。主治医の先生は月曜日の午前中は外来担当で午後にならないと話が出来ないという。午後2時にアポイントを入れ、一旦外出して昼食と買い物を済ませた。2時から主治医と面談。主治医曰く「強い薬を使うこともできますが、患者さんの年齢と体力を考えると考え物です。」の旨の発言。続いて「従って、今後緩和ケアに移行するのが得策かと考えます。その場合、別の病棟に緩和ケア専門の部署がありますから、そちらに移られて看護を受ける手もあります。」とのこと。いわゆる「ホスピス」である。午後3時半からその「ホスピス」棟に出向き説明を受けた。初めて「ホスピス」なる施設を見たが病院というよりもホテルの雰囲気を漂わせている。市民病院なのだが充実した施設である。ただ、「病気を治す治療はしません。痛みを和らげることを目的とします。」という理念について、決断をする親族としては迷う。『本当に病気を治す治療を諦めてしまってよいのだろうか・・・』。帰宅後、夕食を摂り再び病院に出向いた。弟夫婦にも声をかけてあったので、病院で落ち合い相談をするためである。腹づもりは「『ホスピスのご厄介になろう・・』と決まっていた。弟も快く了承してくれたのだが、問題はホスピスへの入院待ちである。現在でも結構待ちの患者さんが居るとのこと。おばさんの病状と競争である。疲れた一日だった。

06年1月22日(日)曇り
  朝、おばさんからの携帯電話への呼び出し。おばさんは遠慮していたようで午前7時前の呼び出しであった。おばさん宅に駆けつけてポータブルトイレの片付けから今日も始まった。今日は山草会の年度締め作業を進めたいと思っていたが、おばさんの看護や家事を片付けながらの作業なので遅々として進まない。おばさんの容態はと言えば、背中や腰が痛く、座るなり寝るなり30分として同じ姿勢でいられないとのこと。そのたび抱えて場所を移動させたり痛い部位をさすったり、トイレの世話をしたりという仕儀となった。おばさんがあまりにも辛そうなので、退院してきた病院に電話。痛み止め等の処置を相談したが、当直の先生曰く最終的には主治医の先生に確認しないと判断が難しいとのこと。翌月曜日に再度問い合わせることとして、様子を見ることとした。夜11時過ぎまでおばさんに付き添い。明日に備えて夜12時には就寝。

06年1月21日(土)大雪
  朝、おばさんの呼び出し電話で飛び起きた。おばさんに簡単携帯電話を渡してあり、用事があるときはいつでも呼び出すように言ってあるのである。昨日は夜遅くなり、風呂に入るのも億劫で普段着のまま寝てしまった。その分、おばさんのところに駆けつけるフットワークはよかった。隣のおばさんの家に行くのには一旦外に出るのだが、寒い朝に急に外に飛び出して心臓に来たら元も子もない。外に出てみると雪。天気予報では午前中から降り始めるとのことだったが、朝の段階で1cmほどの積雪になっていた。おばさんはトイレに行くのを我慢していたらしく、私メの介添えで用足し。今までは病院の看護師さんに皆お願いしていたわけで、本格的な家での介護は始まったばかり。おばさんがどれくらい動けるかも分からず、暗中模索試行錯誤である。今日は夕方から弟夫婦を交えて退院祝いをすることになっていた。その前にポターブルトイレの納品を受け、おばさんのベッドの横に設置。雪は一日中降り続け、交通機関もだいぶ乱れているようである。おばさんの容態は背中や腰に痛みが走るとのこと。しばらく注意が必要。


06年1月20日(金)晴れ
休暇
  おばさん退院の日。朝から病院に出かけ午前中におばさんを連れて家に戻った。足掛け4ヶ月に渡る病院生活に嫌気が差したおばさんの希望と、「今でしか退院の機会は無い。」という主治医の先生の意見により決行したものである。家に着いて、まずは仏壇の前に座り込んだおばさんは息を切らしていた。おばさんの一言「前よりも体力が落ちたかナ・・」1月3日の日帰り帰宅に比べてのことである。午後にはケアマネージャさんの手配で車椅子が届いた。明日ポータブルトイレが届き、来週からは介護師が家に入る。おばさんの退院後の体制はほぼ完了。今までは病院の看護付きだったので安心していたが、家での生活の対応が分からず、夜中まで付き添った。

06年1月19日(木)晴れ
  風邪薬が切れたので会社で時間をもらい行きつけ診療所に薬をもらいに行った。去年もこの時期に気管支から風邪を患って長いこと薬を飲み続けたが、もしかして花粉症の走りだろうか?明日のおばさんの退院に向けて休暇を申請。ただでさえ忙しい時期である。先般の休日出勤の振替休日でさえ1ヶ月先まで延ばしているのに、休暇許可に感謝。

06年1月18日(水)晴れ
  とにかく風邪とおばさんの件で目イッパイ。風邪はといえば、今日は会社で喋り続けなければいけない時間があり、声はガラガラ。ときどき咳き込む始末である。一緒に居た人間にうつらなければよいが。朝、会社に出勤した直後におばさんの病院から電話。今日ならば主治医の先生のお話が聞けるとのこと。退院の期日も迫り、退院後の生活など是非聞いておかなければならないこともあり、職場の上司に話をして午後半日休暇をもらった。半日休暇は通常12時半までの業務なので、昼食を摂ってもアポイントの3時には間に合うと思っていたとろ、急な仕事が入り、終ったのが午後の1時半。まともに昼食を摂る時間も無い。家から持ってきた弁当をそのまま持って帰り、病院へ出かける直前の5分間ほどて立ち食い昼食となってしまった。先生から退院後の注意事項の説明を聞き、その足で病院の施設内に事務所を持つケアセンターで介護開始の依頼。スグにケアマネージャを紹介してもらい、帰宅後訪ねてきたケアマネージャさんと契約書の締結。聞いてはいたがケアマネージャさんというのはケアを計画を立てて手配をするのが仕事で、実際にケアを受けるにはケアマネージャさんの手配する業者さんと契約しなければいけないとのこと。介護制度の複雑さというか奥の深さというのを思い知ったり感心したりであった。とにかく、来週早々人を派遣してもらわないといけないのである。

06年1月17日(火)晴れ
  風邪の症状が変わる。鼻が通らない。鼻水ダラダラといった感じ。それに軽い腹痛。ダルさと上気した感覚が伴う。病院で動きがあった。今週中ならばいつでもおばさんが退院できるとのこと。迎え入れる準備や介護の問題など山済み。最初の1ヶ月程度が山だろうか。

06年1月16日(月)晴れ
  会社で時間をもらって医者に行った。「普通の風邪です。」とのこと。とりあえずインフルエンザではなかった。薬をもらって飲んだ。

06年1月15日(日)晴れ
  微妙な体調。気管支の痛みは依然として継続。今日は写真学校へ行っているセガレからボロ市に写真を撮りに行こうと誘われていた。頑張れば行けないこともないが、悪化することが不安である。それでもセッカクのセガレの誘いなので出かけた。気温は高いのだが風がある。2時間ほど散策して午後2時には帰宅。案の定寝込んでしまった。37.8℃の発熱。布団を被ってひたすら寝た。今は会社を休めない。山草会の年度報告、さくらそうの植え替えなど何もできず。おばさんのお見舞いに行っていた家内曰く「今の逃すと退院の機会を逸する。」と看護師さんが言っていたとのこと。ドタバタで退院ということになるかもしれない。

06年1月14日(土)曇りのち強い雨
  睡眠不足解消のため朝は6時半ごろまで寝ていた。起きるとまだ薄暗かったがノエルを散歩に連れ出した。ポツリと額に雨の気配。散歩から帰るとまた寝た。再び起きたのは午前9時を少し回っていた。そこから朝食の準備。家族を起して朝食を摂り、午前中に少しさくらそうを植え替えたいと思っていた。しかし、たまの休み、家族が放ってはおかない。自動車学校に行くセガレを車で駅まで送り、帰宅すると玄関の水洗い。午前中に馴染みのクリーニング店にワイシャツ、スーツ、ネクタイを出しに行き、ようやくさくらそうの植え替えに入ったのが12時チョウド。小一時間で2鉢を開けた。思いのほか増殖していて、元の2鉢プラス6ポットに植え込み。午後1時には終息してリビングの掃除機掛け。1時半には本降りのなかをクルマで近所に商店街に柿の種を買いに行った。禁食が明けたおばさんが柿の種が食べたいというのである。商店街から隣町の花屋に回り、ユリの花を購入。これもおばさんの病室に欠かさない花である。途中で昼食を摂り、おばさんの病院に到着したのが午後4時近く。ここで気管支に違和感を感じ始めた。5時には病院を後にして帰宅途中にミスタードーナッツに立ち寄り、1月になってからのおばさん関係の経費について整理作業。6時にミスタードーナッツを後にして、一旦家に戻りノエルを連れて獣医さんへ。1歳のワクチン注射である。ノエルは獣医さんでは我がままワンコで通っていて、注射一本に一苦労。とにかく嫌がって大騒ぎなのである。家内に抱かれていると甘えてしまうということで私メが抱え込んだのだが1度ではうまく行かず、2度目の挑戦でようやく成功。この間に私メはノエルの頭を押さえていた人差し指の先を噛まれてしまった。なんとか爪がガードして血まみれとはならなかったが先行きが思いやられる。しかし、こうしたワンコも訓練によって従順になるのだろうか?チコはゼンゼン手がかからなかったのだが、ノエルには手を焼く。ワンコの性格に応じた訓練の仕方というのはあるかもしれないが、気質ばかりはどうしようもないのではないかと思うわけである。帰宅後、気管支の違和感が増し、ヒリヒリムズムズし始めた。咳が伴う。『風邪?』。今年は外から帰っての手洗いにうがい、外出時のマスク着用など細心の注意を払ってきたのにどういうことだ!?緊張しっ放しの一週間が終わり、急激に気が抜けて発病したのだろうか・・セッカクの休日だというのに寝ていなくてはならなくなるか・・とにかく、獣医さんから帰るとすぐに葛根湯を一袋、寝しなに一袋飲んだ。明日の回復を祈るばかりである。

06年1月13日(金)晴れ
  新業務が胸突き八丁。新事実が次々に発覚する。その都度最善の対応を考えて処理するのだが、時間勝負のギリギリ対応である。朝は散水ホースの凍結も無く、出勤前の暗闇のなかで水遣り。ようやく今週も終わり。山草会の報告書造りが逼迫。切迫感が続く。マア、やれるだけのことはやってまとめるしかない。

06年1月12日(木)晴れ
  少しばかり残業になる。新業務の補正が続く。イッペンに全ての取引が発生して事務処理が行えれば対応の正しさが確認ができるのだが、五月雨式にしか発生しない。しばらく休めない日が続きそうである。そんなわけで家に帰るのが若干遅くなる。おばさんのところに顔を出すのも遅くなる。結局消灯の夜9時半まで病室に居て引き上げてくるといった始末だ。切迫感が続くせいか起床がきつい。平日は特に「モット寝ていたい。」という感覚が強く、見舞いから帰るとすぐに寝てしまう。今週はそんなことの繰り返しである。マア、男の更年期は40台から50台で夜何度も目が覚めてしまって不眠などの症状が続いたりするという。チョット前まではそうした症状に悩まされていたが、ここのところはよく眠れる。ようやく更年期を脱しはじめたのかもしれないが、いくら眠っても足りないという意味では不眠感が残る。睡眠不足の解消は通勤電車となる。新年度の山草会関連の会合についての出欠確認が何通も舞い込んでいたが、おばさんの容態が上向きとはいえ目が離せなず、全て欠席として返信。役員となっている会の年度報告は休めないので総会だけ参加してそれに続く新春懇親会は欠席とさせてもらった。身のまわりが落ち着くにはモウ数年要するようだ。

06年1月11日(水)晴れ
  会社では忙しい日が続く。帰りには是が非でもカレンダーを探して帰らないといけない。物はあるのだが帯に短しタスキに長しである。それに、年末になると会社の取引先さんが挨拶に来られて、いつもカレンダーを置いていかれる。必要なときにはそれを使っていたのだが、イザ買うとなると高いものである。結局600円ほどの卓上カレンダーを購入して帰宅。急いで夕食を摂り、夜9時近くになって病院のおばさんのところへ出向いた。顔をあわせたおばさん「死んじゃうヨ〜」。『ドウシタッ!!』内心ドッキリ。何のことはない、目出度い話なのだが、今日から禁食が解除になり、嬉しくてたくさん食べてしまって気持ちが悪いとのこと。「そりゃ良かったナ〜!!」。20日以上禁食が続いて、ようやく食べられるようになったのである。病院食ばかりではなくお見舞いの果物や、家で作ったものも間も無く食べられるようになるのではないか。競争である。

06年1月10日(火)晴れ
  日記を書いている最中にブレーカーが落ちた。冬場でアチコチで電気を使っているのでときどき落ちる。会社では新業務開始。まだ山場は先だがいろいろと問題点が顕在化する。おばさんがカレンダーが欲しいとのこと。入院生活が長くなっているので曜日の感覚が無くなるようだ。退院の日を指折り数えるのだろうか。

06年1月9日(月)晴れ・成人の日
  昨日は大した仕事もしていないのに疲れて朝までグッスリと寝てしまった。起きたのは朝7時前。ノエルの散歩から帰るとさくらそうの植え替えのために用土の準備。今年は赤玉7に腐葉土3ほどの割合で用土を作った。パソコンを少し打ったあと朝食の支度。家族を起こして、食事を済ませるとモウ10時近くになっていた。11時におばさんの主治医の先生にアポイントを取っている。出かけるまでに何鉢か植え替えられるかと思ったが、棚への水遣りが精一杯だった。病院のカンファレンスルームで主治医の先生と面談。おばさんの発熱は抗生剤で対処している原因とは別のところにあるとのこと。日はあるのに窓から見える冬の景色が寒々しい。病院の前でセガレと別れ、私メと家内は車で食事に回った。つきなみな郊外レストランではあるが、滅入る気持ちを食欲にぶつけて大飯ランチ。その後総合園芸店に回り、鹿沼土を購入。さくらそうと並行してチゴユリを植え替えたいのである。ついでにおばさんの庭の果樹のために鶏糞を購入。寒肥である。帰り道に今度は郊外レストランの不二家に寄ってショートケーキでコーヒータイム。とにかく食べるもので気を紛らわせるわけである。帰宅は夕方4時を回った。そこから防寒装備を整えてさくらそうの植え替え開始。風は無いが水が冷たい。10鉢ほど植え替えて終息。明日から動き出す会社の新業務に備えて無理はしないことにした。夜、弟におばさんの容態を報告。山草会の年度総会に向けて報告書作成開始。先が長いので少しずつでも進めておかないと1,2日でまとまる作業ではない。

06年1月8日(日)晴れ
  1月10日から動き出す新業務の最終確認で出勤。確認自体はそれほど時間もかからず終了したが、後日振替休日を取る出勤なので、それなりに仕事をして帰らないといけない。帰宅後、おばさんの見舞いに出かけたが、やはり微熱が続いている。看護師さんが来て抗生剤の点滴をした。抗生剤といえば先日私メがノエルに噛まれた折にもらった飲み薬がやはり抗生剤だったように思う。医者側としては想定内の治療なのかもしれないが知識の無い私メらとしては気を揉まずには居られない。おばさんの容態も心配なのだが、1月10日からの新業務につき、担当者が私メしかいないというのが気がかりなのである。悪く考えたくもないが、おばさんと仕事の掛け持ちというのは物理的に厳しい。起こってみなければ分からないことに心労を重ねるのも馬鹿らしいと思うのだが血液型A型の特性だろうか。山草会の年度報告も作らないといけない・・・

06年1月7日(土)晴れ
  睡眠時間を確保すべくノエルやチコの動きを無視して布団にもぐりこんでいた。結局散歩に出たのは朝6時。帰ってきて2度寝に入り、次に起きたのは朝8時を回っていた。そこから朝食の準備をして家族を起こし、起こしついでに布団干しとシーツの洗濯。朝食を済ませて10時には久々の園芸作業としてさくらそうの植え替えに入りたいと考えていた。それに今までほとんどの休日をおばんさんの帰宅の準備に当ててきたので、我が家は荒れ放題。家の内から外まで片付け物は山ほど溜まっている。これも少しずつでも片付けたいと思っていたのである。しかしここで家内から問題提起。午前中におばさんの入院している病院に行こうと言い出したのである。私メとしては夕方に見舞いに出かけるつもりでいたわけで、午前中から出かけるということは短い冬の日のゴールデンタイムを費やすということであり、何もできなくなる。家内の言い分では日中ならおばさんを担当している先生が居るだろうから昨日のおばさんの発熱を先生に問いただすべきだというのだ。おばさんは入院して既に2ヶ月を超え、手術をしてから50日、2度目の禁飲食期間に入って20日が過ぎようとしている。家内の言い分も一理あり、結果的に朝食を済ませて病院に出かけた。病院に着いて、担当の先生の都合を聞いてみると今日は非番で登院されていないとのこと。9日は登院されるというので、アポイントを取った。休日で静かな病棟の廊下を通り、おばさんの病室に入ってみると看護師さんが処置中である。「熱が高くて39.4℃あります。」というのである。「採血をして熱を下げる注射をしますがよろしいですか?」おばさんに確認している。こちらはどうしようもない。経過を見守るだけである。20,30分の経過後、おばさんの熱は平熱に低下。西洋医学の即効性だ。あとでおばさんに聞いてみると熱が出ていた間というのは朦朧として夢を見ていたとのこと。担当の先生には会えなかったが、おばさんの発熱とのせめぎあいに立ち会えたのはそれなりに意味があったということか。結局病院には2時間近く滞在し、その後昼食を摂ってホームセンターに向かった。買い物をして午後3時半には帰宅。冬の落日は早く、もう冷え込んできていたので急いで寝室の掃除機掛けをして布団を取り込み、寝床メイキング。その後、数日前に捻ってしまい違和感のある腰の治療に整体院に出かけた。帰宅は夜6時過ぎ。園芸作業は何もできなかった。

06年1月6日(金)晴れ
  会社の人員削減で12月からベテランの女性を一人抜かれてしまったツケが回ってきた。本来ならば私メがいつ出向してもいいようにと私メのルーチンワークを引き継いできた女性を抜かれたのである。おかげで引き継いだ仕事がブーメラン状態で戻ってきた。12月末基準の月次、四半期の仕事に加えて、私メが昨年から休日出勤を続けながら準備してきた新業務が1月10日および1月30日にスタートする。そのうえ臨時の期限付き報告書が求められているアリサマである。残業して消化したいのもやまやまだが五十路を超えると体力にも自信が持てない。家庭は家庭でおばさんの入院問題をかかえている。帰宅後、夜遅くおばさんの見舞いに出かけたが、少し熱が出ていて気がかり。山草会の総会が2月11日に開催されるというので、前年度の決算報告を作らないといけない。明日からの3連休もすべて休めるわけでもない。マア、そういう年代なのかナといつものように自分を納得させるのだが、切迫感はいかんともしがたい。

06年1月5日(木)曇りのち晴れ
  朝、曇っていて散水ホースも凍結していなかった。棚に一通り水遣り。今日は朝、みなとみらいの本社に出勤するので朝が楽である。東京に出るよりも30分は遅く出ても間に合う。本社で会議のあと東京の職場に向かった。曇っていて恐ろしく寒い。こんな日はあまり外に出たくないものである。12月は戦後で一番寒い12月だったとニュースが報じた。新年になっても寒さはまだまだ続く。

06年1月4日(水)晴れ
  仕事始め。まだ電車が空いていて寒い。年末から4日間の休みなどすぐに終わってしまうものだ。帰宅後、家内にも手伝ってもらって一挙に50通からの年賀状を仕上げた。特に園芸作業は無し。

06年1月3日(火)晴れ
  休みだというのに朝から動き回った。朝6時前にノエルとチコの散歩に出ると昨日の雨で道が凍り付いていた。畑は霜で真っ白。冷えた分まだ薄暗い空には雲の影は見当たらず、今日は晴れそうである。おばさんの一時帰宅の準備をして9時前にはおばさんの病院に出向いた。ほどなく弟夫婦も到着して回診を待った。担当の先生が回ってきたので私メ夫婦と弟夫婦は廊下に席を外して聞き耳を立てた。先生「熱が出なければ帰してやりたかったんだけどネ〜・・」私メ他『まずいなッ・・・』。なにやらおばさんと先生の掛け合いが聞こえる。一時(イットキ)置いて先生が出てきて曰く「術後の経過も良く、あと一息ですネ。今日は気分転換で外出されてもケッコウですヨ。」。全員ホッと胸をなでおろした。その後おばさんは家内の介添えで帰宅して、午後3時を過ぎるまで正月の宴となった。ただし、おばさんはまだ食べ物を口にできず、禁食を条件に外出してきたのである。従って、おばさんが食欲をそそるようなものは用意できなかった。宅配ピザ、サラダ、パスタといったイタ飯タイプの宴となった。それでも一時でも帰宅できたことで、おばさんも晴れやかな表情で病院へと帰った。2ヶ月以上がんばってきたが、今日の一区切りで皆疲れが出たようだ。夕食は有り合わせのもので済ませて、何もせず寝ることにした。年賀状はマタマタ先送り。今年は出状できないかもしれない。

06年1月2日(月)曇りときどき雨
  おばさんの一時帰宅の準備で朝からおばさん宅の片付けもの。外は冷たい雨が降っているが雪までには至らない。遅い朝食を摂ってから正月の墓参り。午後は大学の恩師宅へご挨拶に伺った。恩師はおばさんより若干年上で、私メを含めて20組以上の媒酌人を務められたと思うのだが、その恩師が媒酌をしたカップルの記念写真を全て返却しているという。「自分がオッチン(死んだら)じゃったら、結婚式の写真なんて焼かれてしまうだろ。だからみんな電話をして主旨を説明してから返してるんだ。」「○○君(りーち)は今日来るというから発送せずに待っていたんだ。」とのこと。四半世紀前の自分の結婚式の写真を久し振りに見た。恩師は数年前に奥様を病気で亡くされていて、今は一人住まいされているのだが、自分がどんなふうにオッチンで行くのかが最大の問題だとか。私メもおばさんの入院に付き添った折、『自分はどんなふうに幕を引けるのかナ・・』などと考えてしまった。そうした世代になってきたということなのだろう。私メが恩師宅に出かけているあいだ、家内とセガレは病院におばさんを見舞い、その足でおばさんの一時帰宅の準備に駅デパに回っていた。私メは帰宅すると車を出して家内とセガレをお迎え。そこで家内曰く「明日のおばさんの一時帰宅なんだけど、熱があったらダメなんだって・・」。まずい話である。もう2ヶ月を超える入院生活でおばさんもストレスが溜まりきっている。それに私メの家族、弟夫婦ともここ2ヶ月はおばさんの退院を目指してお見舞いを続けてきたわけであり、まだ退院は出来ないとはいうものの、外出許可というのはおばさんの回復のバロメーターなのである。明日、一時帰宅が出来ないとなると誰もが気持ちの持って行き場に困ってしまう。帰宅後、弟夫婦に電話してその旨伝えた。弟夫婦も明日は病院の方へ出向くという。とにかくおばさんの熱が上がらないことを祈るばかりである。

06年1月1日(日)元旦・曇り
  元旦とは言うもののノエルたちには関係ない。それでもいつもの散歩時刻よりも少し遅く、出掛けたのは朝6時近かった。散歩から帰るとしばしパソコンで正月の対応。8時にセガレから電話が入った。「今、成田駅に着いた。駅にはあまり人は居ないナ」。せがれは始発電車で成田に出掛けていた。昨日おばさんの見舞いの折におばさんの口から「今年は成田(新勝寺)にも出かけられないネ」という話を聞いて代行で出掛けたのである。パソコンの部屋には暖房が無いためその後しばらくパソコンを打っていたが体が冷え切ってしまった。風呂を沸かしてユックリと温まっていると再び電話。無視もできず、急いでバスタオルで体をぬぐいながら受話器を取った。またセガレ「今、お札を買った。お寺さんの方はすごい人出ダ。」私メ『分かった分かった・・』「気を付けて帰ってこいヨ〜・・」。大晦日に動きすぎた。元旦から疲れているし、寒いので何もできない。マア、本来の正月休みなんていうのはこんなものなのかもしれない。元旦から植え替えをしようという企てが間違っているのかナ・・今日は何もしないと決め込んで社会人駅伝を見ながら一人でグダグダと過ごした。朝のお雑煮を食したのは12時近くとなっていた。年賀状が届いた。私メには40枚強程度。ようやく年賀状書きに腰を上げたが、途中で病院におばさんの見舞いに出かけたので頓挫。出状はいつになることやら。病院は夕方の4時近かったが見舞い客が多い。ほとんど患者さんの家族だろう。正月を病院で過ごす患者さんへの家族の心遣いである。帰宅は夕方6時。チコとノエルの散歩で出たが恐ろしく冷え込んでいる。明日の朝にかけて雪がチラつくかもしれない・・・

迎春